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終わりなき”東京カースト”

東京生まれ東京育ちの僕が”東京カースト”に気づくまで

東京生まれ東京育ちの僕は、生まれた病院は皇室御用達の愛育病院で出身校も都内の某私立高校。実家は都内のいわゆる”高級住宅地”(実際はそうでもないけどね...)にあり、海外生活も経験したことある。もちろん長者番付に載るような大富豪でもないし、田園調布に邸宅を構えたり六本木のタワーマンションに暮らせるような富豪ですらないけど、それでもそこそこ裕福な生活を送れてきたとおもう。

大学を卒業するまでは無邪気でいられた。大学までは実家の裕福さよりも容姿や性格がその人の魅力に直結する。実家が裕福なのはステータスであることに相違はないけれど、それよりも容姿端麗であることや社交的であることが重要になる。しかし、大学を卒業すれば経済力が魅力そのものになる。冴えない数学科の学生が外資金融に就職して初年度から4桁万円の年俸を稼ぐこともあれば、男らしい運動部の学生が聞いたこともない企業で昇給しないまま数年経過することもあるかもしれない。

東京でなければこんなことそこまで問題にはならないかもしれない。でも東京には経済力を基準にした”カースト”を感じる瞬間がたくさんある。映画を観にいけばプレミアムシートでくつろぐ30歳前後のカップルがいて、六本木で食事をすれば高価なワインを躊躇なく注文する初老の夫婦がいる。パークハイアットでは豪奢な毛皮できめている若者がいる。

「彼らはどんな仕事をしているんだろう?」

厳然たる階級差を目撃することで、自然と経済力がそのまま魅力になる都市で生活していることを実感してしまうのが東京である。

終わりなき”東京カースト

満員電車に揺られながら皺だらけのスーツの会社員に突撃されると、世間で言われるような一流企業勤務の称号なんて些細なもののように感じる。休暇を頂戴してすこしハイソなレストランで食事をしていればTシャツにジーパンのオヤジが高級車から降りてくるのを頻繁に目撃する。

「服装は人となり」と小学校のときに教えられたが、ヨレヨレの洋服で無精髭のオヤジのほうが裕福であるという事実をどのように理解すればいいのか?

確かに僕はいわゆる就職偏差値でも最上位にあるような企業に勤務しており、食事会やいわゆる”ホームパーティー”にも頻繁に誘われる。

「○○に勤務しています」

と言えばそれだけでアプローチしてくる女性もいるし、それなりの”階級”にいるのかもしれない。それでも僕はサラリーマンであることに変わりはなく、高級車に乗れるような身分ではない。節約するために飛行機はいつもエコノミークラスで、旅行の初日はいつも肌がカサカサになる。

「人間の欲望には下方硬直性がある」

というのは真実だとおもう。人間は自分よりも貧乏な人間をみても安心できず、自分より裕福な人間への羨望をやめることができない。

狭い土地にたくさんの人間が生活をしているのが東京で、そんななかこの羨望をやめることはなかなか難しい。

 ”東京カースト”は勝つものではない?

最近好きな人ができて、その人とセックスしたり食事したりしているととてつもない幸福感を覚える。そんなときに”東京カースト”なんてどうでもよくなる。ガッツがないと批判されるかもしれないけれど、生まれたからこれまで体験したことのない幸福が「”東京カースト”なんてどうでもいい!」という気にさせる。

最高級のレストランで食事、大富豪の自宅でシャンパンパーティー、軽井沢の豪邸でBBQ。どんなに豪奢な体験をしても獲得できなかった幸福感を、こんなにも素朴なことで獲得している自分に気づいた。

経済力はカーストを決定する重要な要素であることを否定しない。それでも経済力と同等に重要なものがあることは確実である。まだまだアラサーということもあり経済力の重要性を本気で理解しているかどうか自信がないけれど、そしてこんな平凡な思考だからいつまでも平凡なのかもしれないと自省することもあるけれど、幸福感に従いながら人生を進めていきたい。

シンプルでいいとおもった、そんな夜である。